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トマトバタケさんの創業者、田中さんは元々、小田原の伝統工芸の職人さんでした。
しかし、奥様が癌になった際、食べ物が体に与える影響を実感され、
今まで作っていた漆器に疑問を感じられます。
漆器には漂白剤をはじめ、殺菌、防虫、上薬にも多くの薬品を使います。
そこで、自分が作った椀にお湯をそそぎ、汚染度を測定するとすごい数値が出ました。
もちろん、みそ汁などを注いでも同じようになります。
田中さんは今までの工芸品作りが嫌になりました。
そこで、同じ想いの仲間を集め、思い切って無薬の漆器に挑戦される事に。
ただ、それは周りからの反感を買う事になります。
周りの協力も難しく、また、無薬で作るには広大な施設が必要となります。
漂白剤を使う代わりに250度の熱湯消毒を行うには50メートル四方の専用施設、
また、その乾燥には1年かかるため、それだけのスペースを国内では
見つけることが出来ませんでした。
そこで、仲間みんなの私財を処分し中国に渡りました。
なんの縁もゆかりもない日本人が中国に受け入れられるわけもなく、
共産党政府からは監視され、土地を与えられるまでに5年もかかり、
大変困窮しながらも細々と無薬の漆器をやっと作りますが、
「メイド イン チャイナ」になってしまい、ほとんど売れませんでした。
そんな中、中国の隣村に漆塗りの工房が出来、日本のデパートで日本伝統工芸品としてい
高くで売られていらことを知り、抗議したところ、逆に田中さん達が日本の伝統工芸会から
破門されることに、、、。
そんな時に、田中さんが日本に残してきた息子さんが中国に渡った父のことを
知る事になります。
田中さんが日本に残した家族は貧乏を極め、息子さんは勝手なことばかりする父親を
恨んで育ちました。
「貧乏しない為に勉強して金持ちになる!」と、心に決め、実際に成果が実り、
都内のタワーマンションに住むほどになっていました。
そんな時に、仕事の関係で中国に行く事になり、ついでに父親の工房をのぞきに行きます。
そこで初めて何のためにここで生活をしているかを知る事になります。
息子さんは帰国後、会社に辞表を出し、中国に行きます。父親はビックリされ、
「お前は自分の仕事で成功してるから想いを話しただけで、継いでくれとは頼んでいない。
第一、給料が出せない。帰ってくれ!」と、話されますが
息子さんも「給料は出なくてもかまわない。手伝わせてくれ!」と訴え、
お父さんにやっと許しをもらいます。ただ、
「30代では伝統工芸はもう遅い。日本で営業してくれないか?」と言われ、
一人、日本で営業マンを始められます。
息子さんは輸入業務、出荷、役所への手続き、なんでもこなされました。
ただ、輸入に許可を貰う検査で、厚労相から「数値がおかしい、、。」と、
再検査をするように言われます。
「汚染物質が全然出てこない、、、木製品では無いのではないか?」
それが理由でした。
木製のものは薬品が多く出るのが当然だったそうです。
検査を繰り返しても薬品が出ないことから疑いが晴れず、
息子さんは検査官の前で漆器を割り、木製である事を証明しました。
厚労相からは「日本一安全な食器です」とお墨付きをもらい、
日本への輸入がが可能になりました。
こうやって、やっと日の目をみたトマトバタケさんですが、その後も
順風満帆なわけではなく、やっと日本で知名度が上がり、各メディアで話題にも
なりましたが、中国にある工房の村が自然災害にあった際は、器の原料の木材を
被災された方に全て配ってしまい、生産が出来なくなりました。
しかし、今までの行いを見てられた方々、そして、、
横浜市からも協力を頂き、「YOKOHAMA WOOD TomatoBatake」として
再開する事が出来ました。
世界の素晴らしい素材と日本が誇る歴史ある技法、今の革新技術で
Tomatobatakeさんの漆器が出来ています。
当店では出来るだけ、毎年 秋ごろに展示をするようにしておりますので、
是非、機会がありましたら手に取ってお確かめください。
無薬で安全。 木製なので熱いものを入れても食器は持ちやすく、
手になじみやすい、やさしい木製の漆器です。